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000海苔の味は、海の景色をまるごと味わうこと。
日本の海苔は危機に瀕している。これは決して言いすぎているわけではなく、ここ10年の生産量を比較すると2023年の生産量を比較すると、それが現実味を帯びていることに気づくことができる。海水と淡水が混ざった汽水域で、波の影響を受けにくく、豊富な有機物が滞留することができる湾があれば、そこには海上での海苔の養殖を見込むことができる。
日本最大の産地といえば、有明海。一年中、海面は穏やかに干潮を繰り返し、遠浅で養殖に適した環境が整っている。福岡県と佐賀県が湾に面し、それぞれに陸地からの川から流入する陸地のミネラル分が良質な海苔の栽培に影響力を持つ。
福岡県の皿垣開漁港(さらがきびらき)に足を運んだ。この漁協は他の漁協とは少し違った気質を持つ。漁協の組合員の皆で、良質な海苔をつくり販売していこうという意思が存在する。もちろん、すべての漁協は良い海苔をつくる意識がないわけではないが、分厚く口溶けが良い海苔を目指そう、という基本方針が定まっていることが特徴であることには驚いた。
もちろん、漁獲できるすべてが均質に良質にすることは難しい。最も味の良い一番摘みの時期は年末年始周辺に限られることもあり、遅れるとじわじわと劣化していく。もちろん、口溶けが悪ければ、悪いなりに活用の仕方はある。溶けにくいことが活かされて、ラーメンなどの汁物に添えられるなど、質の良し悪しというよりも、使う用途に応じた海苔がある、というのが本来的かも知れない。
私たちは、ごはんと合わせていただく海苔を探して旅をしていたこともあり、一番摘みで風味がよく、食感があり、それでいて口溶けもいいもの、という、とってもわがままなこだわりを持ちながら、海苔を探していました。有明海苔、中でも皿垣開漁港で漁獲される海苔に出会えたことで、こんなにもおいしい海苔があるのかと気づかされたのです。
海苔には、大きく分けて、酸処理と無酸処理という育て方の違いがある。
酸処理とは、言わば農地で言うところの農薬に近いもので、海水の中にある様々な雑菌に侵されてしまうことを予防する効果がある。しかし、本来海の中に存在しない処理を行うことは、その影響度が低いことを保証されている方法だとしても、海の生態系に全く影響しない、と言うことはないだろう、、、と思える。
海苔の栽培は、極めてシンプルな育て方で、種つけをしたロープを、養殖漁場の中に張り巡らせ、日光による光合成と、干潮さを生かして乾湿を繰り返しながら海水の栄養素をたっぷり受けて育つ。海に広がる養殖漁場の景色は、まるで農地のように区画割がなされている。海の環境に依存しながらも、農業のように育てる側面を多く持つ漁業なのである。
当然、農地と異なることは、隣の漁場の海水も、絶えず流れて往来してしまうことが、農地と決定的な違いとなる。近隣漁場全体の考え方が、大きな影響を及ぼしてしまうのだ。
朗報だったのは、海苔のベストシーズンと言える一番摘みの時期は、どこも無酸処理で収穫されるということ。一番摘みの海苔は、昔ながらの自然の味に近いと言えるだろう。
ちなみに、近接する漁場であれば、どの区画でも良い海苔が育つかというと、そうとも言えないのがおもしろい。潮の流れが微妙な匙加減で変化し、有機物の滞留度合いなども異なるため、今年はあの区画がとても良い、あそこは昨年は良かったが今年はダメっぽい、、、ということが起きていく。
漁場の区画は、漁協内で調整され、毎年同じ場所とはならないため、それぞれに機会が与えられる仕組みとなっている。努力を惜しまない漁師にとっては歯痒くもあり、産地全体を支える工夫でもあり、その仕組みは同じ海という共有財産の恩恵を受ける者として、平等なあり方と言えるだろう。
皿垣開漁協の組合員でもある、海苔漁師さんの早朝の漁に同行させていただいた。時期的にはややベストシーズンは外れていたけれど、それでも多くの収量があった。船で区画の近くに乗り入れ、そこから小さいボートに船員の方達だけが乗り換え、僕たちは船からそのボートで繰り返される海苔漁の景色を見学させていただいた。
区画の端から端へ、ボートを走りながら、海苔をボートの中に収穫していく。その円滑な作業風景に見惚れていると、気づけば、真っ暗だった海上に、綺麗な朝焼けが差し込んできた。
この海と空とが海苔を育てている。私たちが朝ごはんに、何気なく手に取り、いただいている海苔は、まさにこの自然そのものを味わっているのだと思えて、感謝の念が湧いてくることを実感した。たべることは美しいとさえ思えたほどに。
私たちのたべるは、つくる人が、自然とともに、この風景の美しさを残し、支えてくれている。
皿垣開漁協で水揚げされた海苔の魅力に気づき、その海苔を専門的に買い付けしている成清海苔店。一番摘みの中でも、海苔の性質に合わせて、おにぎり用、ふりかけ用と、使い方を提案してくれる。高級寿司屋であれば最高の質の海苔を使えるかも知れないが、家庭の日々の生活や、日常の食を提供するおむすび屋ではそこまでは使えない。だったらば、これくらいでどうだろうか、と海苔と共に生きる生業の人たちを思い、海苔の個性を編集し目利きしてくれる存在と言える。
成清海苔店の存在に支えられている料理人も多いだろう。そして、それは、私たち生活者にとっても同じだと言える。たしかに最高においしい海苔はある。だけれど、その時に出会った海苔に感謝し、その背景に必ず存在している自然の美しさに感謝しながらいただくことも大切なことに思えてくる。
わたしたちは、自然と心を通していただくことが大事になる。海苔は今、確かに危機に瀕している。最高のものを取り合う社会より、みんなで海苔がより良く育ち環境に関わることに関心を持ち、数多ある海苔のそれぞれの魅力を見出して楽しむことも大事になっていく。
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