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000香りの記憶。絞ったまんまのごま油。
香りは、食欲と切っても切り離せない関係があります。
いつも思い出す香りがあります。小学校の登下校の時、家にたどり着く前に、そこかしこの家々で夕ご飯の支度で煮炊きをしている、おいしい香りに、ぐう〜っとお腹がなったあの時間。通りの角を曲がった時の景色も、夕暮れが近づく空の色も、ランドセルの重さも、記憶の中にずっと染みついています。きっと誰しも、そんな記憶があるのではないでしょうか。そして、香りがつなぐ記憶の力には驚くばかりです。
大人になって、天ぷらのおいしさに気づきました。サクッとした衣の食感と、温かく中まで火が通った野菜や魚介のやさしい素材の味。そのおいしさを陰ながら支えている食材に、油があります。油の香りもまた、私たちの感覚に深く深く結びついている気がしてなりません。中華料理なんて、ごま油の香りが漂えば、毎日でも食べたくなってしまいますものね。
ごま油の原材料はとてもシンプルで、基本は、ごまだけです。焙煎した黒胡麻は香りが高く、焙煎していない生の白胡麻は香りは抑えめな一方、みずみずしさがある。日本でも、昔からごまは栽培されてきましたが、これほど人口が増えた日本人全員をまかなうことは難しく、また、その植生から考えても、日本よりも適した海外の産地というのはあります。国産の素晴らしさもさることながら、適産地の国々でのごまの魅力も同じく魅力であると感じます。
原材料のごまから、ごま油ができるには、どういった工程であるかというと、ごまの不純物を取り除き、蒸煮して搾りやすくするためにやわらかくし、圧力をかけ圧搾し、油を搾ります。そこから、静置させながら濾過を繰り返すことで、より不純物を取り除きながら、フレッシュな味わいと香り、さらにはごまの持つ旨味も含んだ状態をいかに残しながら、ごま油をつくっていきます。
圧搾法が低温圧搾であればおよそ20〜30%、高温圧搾であればおよそ70%の圧搾量に比べて、抽出法は、実におよそ99%以上もの抽出が可能というのです。製造効率としては圧倒的に抽出法に軍配が上がると言えますが、香りや旨み以外に、本来の油に必要としないネガティブな要素も抽出されてしまっているため、それらをさらに除去する精製過程が必要となります。結果的に、素材本来の魅力が活かされた味わいとは異なることも多いのです。
ごま油は比較的油分が多い食材であることもあり、圧搾法が基本となっていますが、大豆やなたね、米やひまわりのような、油分量がそもそも多くない作物を活用する際には、この抽出法による油が多くあります。
油に求めるものは油分だけ、ということであれば良いかもしれませんが、油の持つ香りや味わいも、素材の持つ魅力であるわけですから、素材そのものを味わえる油こそ味わいたいと思うのです。
埼玉県の松本製油では、低温圧搾が可能な、昔ながらの「玉締め一番搾り」にこだわっていました。工場はごま油の良い香りに包まれ、必要な設備が製造に最適な配置で置かれ、どの機会も、もっと言えば、絞り終えたごまかすの塊すらも、どこか美しく、存在感を放っています。工場の中に入るだけで、ああ、もう、おいしいじゃないか、と思えてくるのが不思議なでなりません。
蒸気を込める桶は、昔ながらの木桶が使われていました。蒸し上げられたごまも、布袋に入って、ぎゅっと圧搾機の受け皿にしまわれます。職人の方々が、全身を使ってその塩梅を見極めながら、流れるように仕事が進む姿に見惚れてしまいます。圧搾機から、とろりとごま油が溢れて出てきました。濾過をする前のごま油。少しその味を試飲させていただくと、驚きます。
調理用のごま油という前に、どちらかというと、飲み物としても、おいしいのです。香ばしい香りは、いきいきとしていて、さらりと喉を通ってくれる自然な味わいがあります。それは、今まで味わったことのない、ごまそのものから絞った油、そのものの味のように思えました。
決して大量につくることはできません。絞っている時間が低温環境をつくることができます。先に書いたように、低温圧搾であるとその搾油量は限られてしまいます。価格が高くなることは、当然だと思うのです。だからこその味があり、香りがあります。
ごま油は料理の脇役ではなく、それだけでも立派な調味料。ごま油の香りが漂えば、きっと誰かの人生をより豊かにしてくれるような、記憶のかけらが生まれていくことでしょう。松本製油さんの工場の匂いが差し込む光とともに、私の目に、鼻に、心に、じんわりと記憶されていきました。
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