泥だらけですくすく育つ。放し飼いの走る豚。

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泥だらけですくすく育つ。放し飼いの走る豚。

取材・文:相馬夕輝

写真:峰岡 歩未

野生のイノシシを家畜化して、豚として食べてきた人類の歴史がどこからかは、明確には言い切れないようです。日本では、長く仏教の教えとして、4つ足動物をたべることを禁じた殺生禁断の思想があったようですが、これも実は諸説あるようで、農耕民族ゆえにそこまで禁止色があったというよりも、そこまで食べる文化そのものがそもそも強くはなかった、という説もあるようです。もっと言うと、実際には江戸ではそこそこ食べていた(!)という説もあったり。。。おもしろいのは、江戸時代は4つ足の動物の肉は、薬屋が流通していたそうです。肉というのは、食べる薬程度のほどほどにいただくものだったことは、なんだか今の時代になって、わからなくもない話のように思えてもきます。僕たちはもしかしたら、肉をやや食べ過ぎているのかもしれない?ということについても、なんだかこれから考えてみたくなります。

そして、明治に入り、富国強兵策の一環で、日本人を強く大きくせねばと、大久保利通らが中心となり、畜産振興を行っていきました。西洋種の豚や養豚技術が少しずつ全国に広がっていくことになります。僕らが日々、おいしく豚肉を食べれているのは、このあたりに産業としての大きな分岐点があったようです。

そもそも、健康な豚って何だろう?

さて、豚にしかり、卵にしかり、牛肉にしかり。日本中に食文化が広がると、それだけ生産者も増えることになります。そうすると品質競争、価格競争が始まっていく。その恩恵を僕たち自身は受け続けてきたわけですが、その結果、経済合理性によって選ばれた生産体制が主流となってしまい、どこかで品質や安全性よりも、安く、多く、そして安定的に供給できることが重視されてきたように思います。

ケージ飼育の畜産などが生まれてきた背景にはそういった実情があったように思います。確かに、それによって増え続ける人口を支えてきたのは事実。僕たちは多くの恩恵に与って今がある。しかし、だからこそ、これから人口が減っていく社会、食べるものの選択肢がここまで多様に広がった社会においては、どう豚を育て、どう豚をたべるか、を今までと同じである必要はないと思えてきます。もっと言うと、今まさに、立ち止まって考えることが大切になってきたと思うのです。そう、時代は変わったのだから。

ここで紹介する豚は、豚の習性が活かされ、放牧の環境の中で健やかに育った「走る豚」。そして、そんな豚が、ちゃんと『素の味』らしいおいしさを持っていたという事実が、これからはじまる畜産の時代の変革に向けて、大いなる勇気を与えてくれるものに思えました。

豚がのびのびと走りまわれる飼育環境

熊本県菊池市の山奥にある小さな農園「やまあい村」が育てる「走る豚」の見学に行ってきました。園主である武藤勝典さんにお迎えいただき、豚の放牧場へと案内していただいた。軽トラが走るのがやっとかな、と思えるほど、草木が生い茂った道なき道を分け入り、先に進むと、道すがら、いくつかに区画が分けられた放牧場を目にする。そのいくつかは雑木林のようにもなっていた。

目的にしていた放牧場に辿り着くと、豚たちが走り寄ってくる。大きな体を前後に揺らしながら、猪突猛進ならぬ、豚突猛進(!?)、その姿に思わず嬉しくなって声を上げてしまうほど驚いた。子豚が走る姿や、それこそ野生の猪が走る姿は見たことがあるが、こうやって成体に近い、飼育された豚が走っている姿は見たことがない。

区画内には、そこかしこに豚がいる。泥まみれになりながら、走り寄る豚もいれば、ゆっくり餌を食べつづける豚も、土に寝そべりながらこっちを覗き見るだけの豚もいる。自由気ままだ。聞くと、山の中には30区画ほどの放牧場があり、それぞれにおよそ10アール(1000㎡)の面積があり、およそ15頭程度が各区画で飼育されている。通常の養豚場の80倍にもなる広大な遊び場だ。

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僕自身、これほどゆったりとした広い面積で飼われている豚を、見たことがなかった。ケージ飼いとまではいかないにしろ、基本は、そこまで大きくない豚舎に、数頭ずつ小分けにグルーピングして、定期的にそれぞれのグループを交代で放牧場に放つ、といった豚舎は何度か見かけたことがある。一生をケージの中だけで過ごす豚に比べるとそれでも良い環境だと言えるが、やまあい村では24時間、昼夜を問わずに日光や雨を受けながら、泥にまみれて過ごしている。なんたる自然。

生命力にあふれた豚たちは、幼い時からずっとこの環境で育ち、大きくなっていくからこそ、走れる足腰のある豚に育つ。豚舎で走り慣れていない豚をいきなり広い場所に放ったとしても、体重を支えきれず、走ることはもちろんできず、足を壊してしまうそうだ。

また、当然自由に走り回るということは、餌を食べて得られたエネルギーを、運動に消費してしまうことにもなる。生産側の目線で合理的な判断をすれば、効率よく体を太らせて、ケージの中でなるべく動かさない方がいい、となる。しかし、確かなことが言えるとしたら、今、実際に僕の目の前にいる豚たちは、のびのび生きて、生命力を感じることだ。僕たちは、食べることを通して命をいただいて生きている。

豚は、泥だらけな、きれい好き。

豚が飼育されている環境を考える上で、豚の習性にも触れておきたいと思います。

豚は、厚い脂肪が体を覆っているため、皮膚に汗腺がなく、自分で体温調節をすることができません。水浴びだとすぐに水分が蒸発してしまって冷却効果を維持できないため、水よりむしろ、泥を浴びることを好みます。泥の上に寝転んでいる豚たちも、寝ているようで、実は地面の土の低い温度を体に移して体温を下げ、自ら体温調整をしていることも多い。

泥浴びには他にも効果がある。体表につく不要な菌や寄生虫を落としながら、過度な紫外線も防ぐ効果もある。一方で、豚は日光浴も大好き。豚が体中泥んこになりながら、ひらけた自然の中、風が吹き、太陽が降り注ぐ環境で育てられる放牧環境は、まさに豚の習性に沿った自然の姿に近い状態。豚舎などの中にずっと管理されている環境は、決して豚にとって居心地が良いことではないことに否が応でも気づかされる。

そして、驚いたことに、実は豚はとてもきれい好きな動物なのだそう。

武藤さんが指を差した先を見ると、放牧場の区画の中、少し窪みのある場所に、確かに全く糞尿をしていない場所がある。

「あそこで豚たちは身を寄せ合って夜は寝ています。彼らはきれい好きだから、自分たちが寝る場所には、絶対に糞尿はしません」泥だらけであることと、きれい好きというのは、なんだか相反するように感じてしまうのだけれど、それは人間の目線にしか過ぎないのだなあ、とあらためて感じた。

豚たちの視点からすれば、泥は汚れではなく、身を守る道具ですらあるのだ。『素の味』の生産者を巡ると、視点を置き換える大切さに出会うことが本当に多い。

豚は、自然の中の木の実や雑草はもちろん、土を掘り、土の中の生物を捕食しながら、そして土そのものも口にしています。主には植物を食べるのですが、豚は雑食性も持ち合わせています。その能力は、人間社会の中でも生かされる。

たとえば、昔は沖縄などでは家の中で飼われていた歴史もある。人間が生活をする上で出てくる残飯などを食べるなど、人間の暮らしとも共生してきた動物でもあると言えます。それは、現在の畜産業においても同様な仕事をしていて、たとえば地域内で集められた、食品加工会社からの残渣などが豚の餌として巡ってくることも多い。昨今増えているクラフトビールやワインなどの醸造残渣、醤油やごま油の搾りかすなど、近隣の豚舎に引き渡していることをよく耳にします。地域内で無駄のない循環を生み出すためにも、畜産業、中でも豚は、地域に必要な社会的存在という側面もある。

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豚らしく生きてきた命の力がおいしさも育む

野山を力強く走り、寝たい時に好きな場所でゆったりと休む。そんな放牧の豚、やまあい村の「走る豚」の肉質は、柔らかすぎず固すぎず、旨味の多い肉質となります。特に、脂身の甘さが特徴にあると言えます。

通常の養豚では、平均5ヶ月程度で出荷されるところを7〜8ヶ月じっくりと育て、さらに、日光浴によるビタミンDの生成やストレスの少ない生活を行うことは、しっとりと旨みのある肉質や脂質に大きな影響を与えています。また、放し飼いのような、糞尿の臭いがしない飼育環境ゆえに、臭みがない肉質にもなっていました。

ちなみに、放牧豚を精肉する業者の方と話す機会があったのですが、聞けば、豚骨ラーメン屋さんの独特な匂いは、放牧している豚だったら、同じようにスープをとっても、あの匂いにはならないのだそう。もっとすっきりとした匂いなのだとか。。。余談でした。


人間の三大栄養素に、炭水化物、脂肪、タンパク質があり、豚肉を食べることは、タンパク質と脂質の成分を多く含みます。しかし、それにも増して大事だと思えるのは、タンパク質や脂質がどういったエネルギーを持った質のものであるか、かもしれません。豚本来が自然に近い環境で、習性を活かした環境で育まれた力強いエネルギーは、栄養素だけでは表れてこない気もします。とすれば、僕たちが、舌を通して、身体を通して、そういったエネルギーを感じれる、味わえる感覚を取り戻さないといけないのかもしれません。

「走る豚」を現地で見た時から、いつも僕たちに問いかけてくれます。そでれいいのか〜?と。

そして、小さな子供を育てている家庭では、やっぱりこれから体をつくっていく子供たちに、どういう生命力溢れるエネルギーを食べさせるのかは、ぜひこれからも考えていきたいと思います。僕たちのような、親になる世代にとっては、生きる力を次の世代にバトンタッチしていく責任があるのだから。

熊本の豊かな水源を守りながら、この場所でつづけていく

最後に、やまあい村がどうして生まれたのか、もまた、伝えておきたいと思います。およそ20年前、養蚕業が終わりかけた山の中に産廃施設の建設話が持ち上がったそうです。菊池の豊かな自然と水源地を守りたいという想いから、先代園主は借金をしてまで守り抜き、その中でこの放牧豚を飼育するやまあい村が始まりました。

冒頭にも触れていた通り、豚の放牧場の中には、雑木林になっている区画がありました。そこは、豚をおよそ1年ほど飼育した後、およそ2年ほど自然に還すように休ませる場所にしているというのです。

そうすることで、豚たちが雑木林の中に再度入る時には、自然な森に近い木の実が落ち、雑草も生え、ミミズや虫たちも豊かに行き交う状態から飼育できるのです。さらには、そこで豚たちが糞尿をしても分解していくことができる微生物が豊かに存在している状況ができていくのです。もし、分解されないほどの過剰な有機物が雨などを通って地下水に入れば、このきれいな地下水を汚してしまう可能性もあります。そうなってしまっては本末転倒ですから。

この里山のために豚を育てる。やまあい村は、常にその覚悟と責任を感じながら豚の放牧を続けています。そして、理想の飼育環境を追い求める一方で、飼育が安定した三元豚を採用するなど、理想と現実のバランス感覚を持って養豚を続けています。

屠畜場までの輸送の際、豚たちに最後まで車酔いをさせないよう、時間をじっくりかけながら自ら運ぶようにしていると聞きました。そこにいろんなことが含まれていると思わずにはいられません。最後の最後まで、責任を持って見届けられていました。

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