種には農家と紡ぎ続けた物語がある

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種には農家と紡ぎ続けた物語がある

取材・文:相馬夕輝

写真:峰岡 歩未

在来野菜の『素の味』について書いた記事のつづきの話。もしまだ読まれていない方がいらっしゃったら、少し長いですが、在来野菜や自然栽培や有機栽培で育てる野菜に触れた記事になっているので、そちらも前提として読んでいただくと良い気がします。さて、在来野菜について、この話を書く前提を伝えておく必要があると思っています。それは僕が、そして、Table to Farmが、何か答えのようなものを持ち合わせているわけではない、ということ。そして、それは人の生き方に答えがないように、種や種と共に生きる人においても、もちろん答えなどはない、ということだと思います。そして、それこそが種そのもののことを最も表しているようにも思うのです。

種が、その土地の、その家の、その人の種になっていく

雲仙で種継ぎを40年以上続けてきた農家の岩崎政利さんの元を、時折、伺わせていただいています。最初にお会いした際に印象的だったのは、種を継ぐことは、人の社会と同じような「多様性」を受け入れる側面があるということでした。種の優れた形、色、生命力、味、、、を観察し、優れたものを選抜していくことは大事なことではあるけれど、身なりが良いものだけを選抜することが、決して次もまた良いものができるとは限らず、一定数の弱い種が混じることや、女性的な種と男性的な種なども織り混ざった方が、結果として変わりゆく環境に対応ができたり、数年経つと意外なところから王様のような姿をもつものが現れたりするのだと。同じ方向性の種だけを集めるだけでは、生命として弱くなる可能性があるという。話を聞けば聞くほど、多様性があってこそ、たくましさのある社会になり得ることは、人間社会と似た要素があるのかもしれません。

そして、野菜はあくまでも人が食べることを前提に生産されている作物でもあるので、やはり、どんなに歴史があったりする在来の種であったとしても、人がおいしいと感じる野菜であるか、ということは大前提となる。当たり前のことのようですが、自然な栽培をすれば、すべてがおいしい野菜となるとは限らないし、これが由緒正しき種だと言われても、おいしくないものはおいしくない。それでは続かない。

僕たちは情報だけで選び食べているわけではなく、おいしさで淘汰された先に今があるのは確かだと言えます。2025年時点で、およそ4年にかけて、Table to Farmでは毎週試食会を、夜な夜な開催してきました。平均して1日6時間。その中で、野菜を1年ほど前から、日本各地から有機で育てられている、在来の野菜を取り寄せては、何度も何度も食べ比べてきました。どれも素晴らしく、でも、中でも光るようなおいしさを放つものがありました。僕たちの一つの店として扱える野菜は限られる中で、特にキラキラと光るようなおいしさを持つ野菜がありました。

自然に育てられた野菜たちから得られる生命力に溢れた味わいは、一度、食べ比べをしてみると、よくわかります。農家それぞれが、自分の感覚を研ぎ澄まして野菜を観察し、その中から選び抜いてきた種だからこそ、同じ野菜であっても味が違ってくる。普段の生活の中では、味を比べる、という体験はなかなか得られないですが、一度やってみることをお勧めします。たべる側が、自分の基準というものを持てると、そこから見た野菜の世界は、本当におもしろくなります。

子供のように野菜を育て、種を継ぐ
糸島の池松自然農園

岩崎さんを紹介していただいた、金子商店の金子尚生さんに、福岡・糸島の生産者である、池松自然農園の池松健さんをご紹介いただき、農場にお連れいただきました。真夏の強い日差しの中、山と水田と、深緑に囲まれた場所に、家と畑が隣接し、職住が一体となったような暮らしがありました。

ふさふさと野菜と草たちが生い茂る畑は、計画的な栽培をしていることを踏まえて、半自然な環境と言えると感じました。虫たちも元気に飛び回っています。新規就農で糸島にやってきた池松さんは、当初に得られた農地が、かなり悪条件だったと言います。そこに比べると今の場所は本当に恵まれている、とおっしゃっていました。

野菜の畑は、元々は田んぼ。緑肥を使いながら時間をかけて畑にされていました。畑の隣には、さらに面積を増やすべく、まさに今、緑肥の力で自然な土壌改良をしている圃場がありました。緑肥となる草たちは肩ほどまで生い茂り、半自然を通り越して、野山に還りつつあるよう。見るからに逞しい。緑肥にもさまざまな種類がある。土に根を深く耕すような稲科のソルゴーや、土に窒素などの栄養を蓄える力のある豆科のヘアリーベッチなど。土を耕し、肥料を入れる効果を、自然の力で生み出してくれる緑肥は、有機栽培農家たちの土の力を引き出す自然な農法のひとつである。3年くらいは緑肥で土壌改良をするのだそうだ。

池松さんは、種を継いでいる野菜のことを「子供のように思えてくる」と話してくれた。池松さん自身、子供との時間をちゃんと持ちたいと望み、農家に転身した経歴を持つ。畑の作業をしながら、子供たちとの時間をたっぷりと過ごせる生き方を選んで、今、農家として生きている。

畑の中でも、子供と過ごすような感覚で野菜と向き合う感覚になるとも。先にも触れた岩崎さんとの交流から、種を継ぐことに出会っていったそうだ。種を継ぎながら、その土地に馴染みながら、刻一刻と野菜が変化し、成長していく様は、確かに子育てと似ているかもしれない。どんな微生物がいて、どんな虫がいて、雨がどう降って、水捌けがどのくらいで、、、あらゆる周辺環境の変化に応じて、野菜は違った表情を見せてくれる。その中で、こっちの個性があるから、この種を残していこうと選んでいく。確かに、子供の成長を見守る親のようでもある。

すくっと太陽に向かって背丈ほど育つ島オクラが生き生きと実をつけていた。くるっと空に向かって伸びる島オクラは、まさに成長真っ只中の子供のよう。小さな産毛のような毛が身を守るトゲともなるのだけれど、体に刺さるとチクチクと痛いのだが、一方でまるで赤ちゃんのほっぺの産毛のようでもあり、なんともかわいらしい。産毛を服に擦ってこそぎ落とし、一口いただくと、やわらかい香りと、豆の部分が持つ甘みが口の中いっぱいに広がりながら、後味に、スッと清涼感が広がった。感じたことのない不思議な清涼感に驚いた。おいしい。あの子は何の品種ですか?この子たちはもう収穫終わり頃ですか?と子供を呼ぶかのように、気づいたら僕たちも子供のように呼んでしまっていた。池松さんは、種を子供のように継いで育てる農家だった。

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いつも艶やかに美人さんな野菜たち
山形県のまえむきふぁーむさん

山形県・遊佐町のまえむきふぁーむの和島さんご夫婦は、周辺の竹林から竹炭を作り、土壌づくりに活かしながら、野菜を育てながら周辺の竹林整備も行う。畑は、森に囲まれた場所にあり、野菜も雑草も共生しながら、命がそこかしこに色とりどりに芽吹くような、生物がともにつながり合うような畑だった。初めてお伺いしたにも関わらず、ふたりがとても自然体で接してくれるので、森で過ごす時間のような、一緒にいさせていただける居心地を感じた。

植物のような人たちだな、なんて勝手に思った。彼らが自分たちの名前に込めた、前向きという言葉は、言霊となり、畑の様子と繋がっていると思えた。そして、その野菜をいただいている僕たちにも、胃の中まで伝わってきているような気がしている。山形で多種の在来種の保存に取り組んでいる山澤清さんの元で研修をされた奥さんが、現在、野菜の固定種を120〜130種程度育てている。万願寺とうがらし、UFOズッキーニ、純白ゴーヤなどなど、珍しい野菜も多いく、見るからに楽しくなる。どれも生き生きとしておいしく、野菜ボックスで詰め合わせて送ってもらった箱の中は、いつも丁寧に新聞紙に包まれ、新聞紙を剥がして出てきた野菜は、いつも本当に元気いっぱいで艶々ときれいな美人さんばかり。本当にこちらが前向きになってしまうほど。前向きの連鎖はたべる人にまでしっかりと届いていく。つくる人の姿勢は、数値などには出ないかもしれないが、確実に伝わってくるのだ。毎回、心を込めて、いただきます、と言いたくなる。

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種を託す。
料理人は在来野菜の理解者。

岩崎さんは、「種を託された」話をたくさんしてくれた。兵庫で在来の種継をともに伝えていく活動をしていた「在来種保存会」の故・山根成人さんから託された、「山根のとっちゃ菜」。おいしい種があると岩崎さんに手渡された後、山根さんが病になり農業ができなくなったことを岩崎さんに伝えられた時に、せっかくいただいたのに、そのままにしていたな、とつくり始めたそうだ。今では雲仙の環境に馴染み、兵庫で育っていた時から変化しながら、今もまだ山根さんからいただいた種として、山根さんが亡き今も、つくり続けられている。

宮崎と熊本の県境にある椎葉村で密かに種継されてきた平家大根。故・椎葉クニ子さんから、岩崎さんに種が託され、今となっては冬の雲仙を表す野菜のひとつとなりつつある。岩崎さんが育てる平家大根をはじめ、季節折々の野菜をは、同じ雲仙でレストランを営むBEARDの原川慎一郎シェフが在来野菜のコース料理として、提供されている。岩崎さんは、在来野菜のおいしさを引き出し、その魅力を引き出し、伝える力のあるシェフという仕事を、大切な存在だと語ってくれる。

経済合理性が求められる今の時代に、在来野菜が残っていくことは、簡単な道のりではない。しかし、その魅力を受け止めてくれる人がいることは、農家にとってこれほど支えとなることはない、と。一方で、それは一般の生活者の日々の食事の中に、いかに在来野菜を使った料理をつくり食べる文化が消えつつあるのか、とも気づかされる。野菜は作物である。つくる人と食べる人が共にいて、やっと続いていくことができるのだから、種を守ることは、たべる人を守ることであり、つくる食文化があってこそ、残りうるのだ。

移り変わる気候に合わせた野菜づくりへの転換も軽やかに

また、夏の雲仙に、岩崎さんを再訪した際、毎年、変わるがわるやってくる異常気象のような変動の中、最近では南国の作物でもある、空芯菜やツルムラサキが暑さにびくともせずに育っていると教えてくれた。これだけ暑い夏が続く気候になると、長崎は南国で育つ野菜の方が適した状況になりつつある、と言う。雲仙という環境の中に適応した在来品種の野菜も、雲仙の気候が変われば、またその気候に適していく変化を遂げることもあれば、別の地でこそ適していく可能性もある。同時に、その環境でこそ育てやすい野菜に、農家はシフトすることも求められていくこともある。40年以上も種を継ぎ、全国から注目される状況にいながらも、新たな野菜や、昔託された種を今がちょうど良いかもしれない?と考えて、新たに植え始める挑戦をしてくことを弛まず続けている姿勢に、変化をあるがままに受け止める姿勢があってこそ、こうやって種とともに続けてこれているのだと、あらためて心から敬意を持った。

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託された「けんちゃん瓜」の種

雲仙を離れる前に、在来野菜の「つけうり」の畑を見せていただいた。そのままで食べるよりも、漬物に向いた瓜。足が早いため、なおさら漬物がよいとも言える。カンカンに太陽が照りつける、開けた畑の中で逞しく育っていた。このつけうりを、岩崎さんは種継をしながら、「けんちゃんうり」と名付けている。地域で、おいしい瓜がある、これを育てていくぞ!と岩崎さんに語っていた、岩崎さんの友人の故・けんちゃんから託された種だという。今育てるのにちょうどいいのでは、と思い立ち、育て始めている。

在来の野菜には、その先に、必ずその種を繋いできた農家の生きた記憶が宿る。農家が大切に育て、自分の子供のように、自分の心の持ちようを表すように、そして、その託された種をまた次に繋げたいと思う心が、種には含まれている。そして、どの種を残し、どの種を継いで、どのおいしさを目指すか、種を継ぐことは、農家の創造性にものすごく影響する。自然の力があってこその種だけれど、農家があってこそのおいしさがある種でもあるのだ。まさに、在来の野菜は、自然と文化が織りなす結晶のような存在かもしれない。

種は誰かに託すように手渡されていくことこそが、種を守り、育て、継いで、生きてきた農家への敬意であるように思える。

人と野菜が共に紡いだ物語を誰か次の人に託していく。そして、その野菜を食べる文化を紡いでいくことで、そのおいしさは、味や栄養はもちろん、心をも満たすおいしさになる。

在来野菜の種は、いつだって人と共にある。種を継ぐことは、その人でしかつくれない野菜をつくることになると言っても過言ではない。同じように見える野菜でも、ひとつひとつがオンリーワンの野菜になる。あの人のつくるあの野菜がまたやってきたな、と思いながら、季節を感じて生きる楽しさを、あらためて味わって生きていきたい。そして、そんな野菜で日本中が溢れている未来をどうやってつくるのか、まずは、たべることからはじめてみよう。たべる人がいることは、つくる人にとってとても大事なことなのです。

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